鬼城一
2025.07.03
げにや夢想の世界より、今この娑婆に示現して
──ようこそ、“夢の無い世界”へ───
来る6月8日。
わたしは高島平を後にした。
バルスキッチン 第41回公演
『夢ぼくろファンタジア』
千穐楽を迎えたのだ。
タイトルから分かる通り、夢をテーマにした作品だった。
見に来てくれた人達も、夢について考えたという感想をくれた。
そしてささやかながら、自分もこの作品の稽古中に考えた。
『夢』とはなんだろうか?
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わたしは、この道に進む前、オタクをやっていた。
否、今もオタクである。
オタクとは“業”なので、自分の意思で辞めたり出来るものではない。それはいい。
この道に進んだ時、漠然と
「今まで画面越しに観ていた人達と、仕事が出来るかも知れない」
と思ったのは事実だ。
それは思いのほか早く訪れた。
オタク一本槍だった頃、テレビで観ていた人との共演。
だが、
それに気付いた時、わたしは
「夢が叶った」とは感じなかったのだ。
無論、光栄きわまりないことだとは思ったが、キャーとかワーとかマジかぁとか無かった。
『プロとして仕事をするのだから当然』という意図的な心の持ちようではなく、本心でそうだった。
その自分の心持ちに自分で少し驚いたくらいだ。
「憧れた人と一緒に仕事する、は、私の夢では無かったんだ」
と理解した時、考えた。
では、私の夢とはなんだろうか?
つまるところ、
自分はどうして役者をやっているのか?
という自問。
その答えは簡単。
『演じずにはいられない、演じることが楽しいから』だ。
つまり、この先自分がもし
売れまくって舞台にテレビに引っ張りだこで、
国民的歴史ドラマに出たり、
アカデミー賞とったり、
ニューヨークのマンハッタンのタワーマンションに住んだり
……しても、それは『夢が叶った』ことにはならない。
演じるのが楽しいから、演じることを続けるのが夢
だとしたら、『叶う』ことはあっても『叶って終わる』ことは無いのだ。
これはよく考えると恐ろしい話で、
生きている限り果てが無い、終わらない、
夢が敗れるか、命が終わる時にしか止まらない。
奇しくも劇中で、
「夢は叶えるものではなく、持ち続けるもの」
という大切なセリフがあった。
その通り、という答え合わせが自分で出来てしまった瞬間だった。
そういう意味で、
自分もまた夢について本気出して考える機会になった
舞台が終わってしまった。
次の予定は、近日中にまたお知らせ出来るだろう。
☆続く☆