鳴海良紀

2020.08.20

唄う人

どうも鳴海良紀です!

自分が何者であるか、自信をなくしたとき一度でもこう問いかけてしまうと何年も答えのない世界に迷いこんでしまったりするのではないでしょうか?

ここ数日でその迷いから晴れました。

 

よく考えてみたら、オリジナル曲をこれまで40曲くらい書いて歌ってきたのです。

弾き語りでライブが成り立つような視点も持ちながら、メインのバラードだけじゃライブにならないから、小難しい弾きかたでギター1本でも、聴いてる人がグルーヴを感じられるように年単位で染み込ませた手癖もある。

 

大切に何度も書き直したバラードだってある。自分の書いた曲を、自分名義じゃなくなる手法で他人に譲るなんて子供を手放すかのようで凄く嫌だ。という気持ちが自分にわいたとき、以外と安易な気持ちで音楽をしてた訳じゃなかったんだという自分を知ったりもした。

メロディに詩をのせて、これはメジャーかアドナインかなんて何度もやり直して、アルペッジオかストロークか?なんて何度も曲自体を否定したりもしながら試して、その曲の持つ本当の力を引き出そうとして。

 

音楽理論や歌の技術に興味が昔からあまりなくて、メロディと詩の組み合わせとギターの音色で、自分が歌って誰かの心に届くか。それが自分を表す何番目の曲で、ライブの中の何曲目なのか。

このメロディにはこの詩が譲れないんだ。とか。伸ばすのか、切るのか、はねるか、ゆらすのか、裏なのか、表なのか、えぇーい違う!そのときの感覚で歌うんだー!とか、そんなことばかり考えて生きてきた。

 

作曲家ではなく、自称レベルの活動しかしてないけどシンガーソングライターとして生きてきたんだなって、最近昔書いた自分の曲の歌詞を読み返してて思った。

上手いか下手かで言ったら歌もギターも、そのフィールドにいる人工比率的に下手に入るんだけど、すごく良いメロディと歌詞を持ってる、と自分で過去の自分を最近誉めてみてる。

歌詞覚えてると当然見ないで歌うでしょ?そうすると心の目で見てるのが、見られてる自分の姿や咽頭の位置みたいに変なこと意識してて、その曲との付き合いが長くなればなるほど、歌詞への想いを忘れてしまってたりするんです。

久々に歌詞みて歌ってみたら、すっごい瞬間瞬間の言葉に自分自身が心動かされて気持ち入ってくのを最近感じたの。そんで自分の書いたメロディ、歌詞、その曲を書いたときの想いや歴史が愛しいものに変わっていった。

 

そしたら、自然に売れるか売れないかじゃなくて、別に歌い続けたらいいんじゃね?って思った。

 

チャップリンとか好きだから演技もやりたい。ブラウン管の向こう側が昔からの目標だから、そこは音楽にこだわらず目指していきたい!

仮面ライダーになれるならすべてを捨てる覚悟は今でも持っているくらい子供の頃の夢に忠実でもある!

必要とされる場所で活躍するのが仕事だからそれはそれで何かしらいつもどこかで頑張ってはいる!

 

でも俺はきっとシンガーソングライターなんだと思う。

あぁスッキリした。

 

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